12月1日(日) 10:30~ アドヴェント(待降節)第一主日礼拝
説教題 「信仰の欠けたところ」 (テサロニケの信徒への手紙一3章9-13節)
どんなにすばらしい人にも欠点があります。それは、信仰においても同じです。けれども、欠点がないということは、もはや成長する見込みがないということです。欠けがあるということは、未来が開かれているということです。
12月8日(日) 10:30~ アドヴェント(待降節)第二主日礼拝
説教題 「荒れ野から始まる」 (ルカによる福音書3章1-6節)
聖書に登場する荒れ野は、わずかな植物しか育たない痩せた土地です。死と苦難の地であり、追放された者が行きつく場所です。しかし、神は私たちを驚かせる方です。天の贈り物が届けられたのは、まさに荒れ野でした。
12月15日(日) 10:30~ アドヴェント(待降節)第三主日礼拝
説教題 「自分を取り戻す」 (ルカによる福音書3章7-18節)
アドヴェントは、クリスマスを迎える準備の時です。そして、クリスマスを迎える準備とは、自分を取り戻すことです。日頃の私たちは世に流されたり、心がささくれ立ったりします。素直な心で、この季節を過ごしたいものです。
12月22日(日) 10:30~ クリスマス(降誕祭)礼拝
説教題 「心の闇を照らされて」 (ヨハネによる福音書1章1-18節)
クリスマスには光が似合います。この時期、至る所で光が輝いています。しかし、イエスという神の栄光のもとには暗闇があり、かたくなな人の心がありました。しかし、その栄光は、それらを照らすために世に宿ったのです。
12月29日(日) 10:30~
説教題 「巡礼者」 (詩編84編2-13節)
聖地や霊場を巡る旅があります。しかし、私たちの人生そのものが巡礼の旅です。それは、途上にあり、聖なるものを慕い求める旅です。そのところで、自分が目指すべき目的地を知っている人は幸いです。
教会は初めてという方も歓迎いたします
主を畏れることは知恵の初め
「主を畏れることは知恵の初め」。それは旧約聖書に収められている言葉です。そして、いくつかのキリスト教主義学校の建学の精神になっているものです。
“宗教は怖い”とよく言われます。そこには、「“神”を信じることは盲信の初め」と言われても仕方のないような事実があることも確かです。けれども、宗教とは本来、私たち人間の理性的な判断を曖昧にしたり、これに終わりをもたらすものではありません。むしろ、人生というものを深く生きるための賢さを生み、これをよりよく育むものであると、私は思っています。
「主を畏れる」とは、私たちが恐怖のあまり、そこから逃げ出することではありません。そうではなく、自分を超えたものであることを私たちが認め、その前に自分をへりくだらせることです。言い換えれば、自分とこの世界を相対化して見ることだと思います。世界が存在し、自分が今ここに生きていることについて、簡単に説明することのできない真理がある。高ぶった心ではなく、己をむなしくして心を開かなければ悟ることのできない、人間の生についての真実がある。そうした認識は、自分をはるかに超えた存在を受け入れるところでこそ目を開かれるものなのでしょう。
現代の社会では、「知恵の初め」は、主を畏れることに代わって、私たち人間自身がその座を占めているように見えます。しかし、人間自身が知恵の初めになったことの結果、どれほどの偽善と混乱、深い失望が起きているでしょうか。人を活かす知恵について、もう一度考えたいと思います。 (牧師 藤井和弘)
★新着情報★
お知らせ
日曜学校クリスマス礼拝
12月22日(日)9:00~
クリスマス・イブ礼拝
12月24日(火)19:00~
|
|
|
|
|
〒336-0024
埼玉県さいたま市南区根岸
1-23-14
電話:048-861-6410
JR南浦和駅西口より徒歩10分
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から